→ http://www.asahi.com/travel/zeitaku/TKY200510240310.html
リンク先エントリの筆者のボストン時代の友人(男)に久しぶりに会ったところ、男性を”パートナー”として連れて来ていた・・・というお話。
「マサチューセッツ州は法律が変わって、2004年からは同性でも結婚できるようになったんだよ」
このエントリを読んだ時、「ああ、きっとこの法律が施行された時、アベイジとアイアンメイデンがもめたんだろうな」と思ってしまった。もうほとんど病気。
勝手な思い込みかもしれないけど、米国の性的自由といえば西海岸をまず思い浮かべてしまい、東海岸に関しては、南ほどではないにせよ、比較的お堅いのかな、なんて思ってました。ボストンなんか、日本でいえば京都だしね。ところが、よくよく考えれば、特にボストンはアメリカにおける自由思想の発祥の地であり、人権民権運動の常にスタート地点でもあった訳です。
ふと思いついたのは、西海岸の自由は、いうなれば芸術としての自由であり、ボストンのソレは、学術としての自由なのかな、と。
学術としての自由思想、なんてまさにインテリ長老ブルハー=アベイジの考えそうなことだなぁ、と。そして、現在はよりモダンな芸術的自由思想に若手ブルハーたちが染まり、反目を高めあっている、と。
じゃぁ、アイアンメイデンはどうなのだろう、と考えてみたところ、どうしても学術的自由思想は、彼女の色じゃない気がします。だって儲からないもの。なら芸術的自由思想なのかといえば、それもありえない。未熟すぎであり、実力に乏しいから。とはいえ、時流を掴んでいるのが芸術的自由思想であるならば、きっとアイアンメイデンは同性結婚に賛成したんじゃないかと思うのです。
反対に、キング牧師が、マルコムXが男尊女卑的思想だったように、アベイジもまた、旧来の思想にとらわれ、同姓結婚に反対したのかなぁ、なんて妄想します。また一つ、長老達が持つ手綱が失われたのです。